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拡大写真 | |||
昭和26年の写真 | 平成21年5月の吉見先生 | お話を伺う小枝指会長と赤澤征夫 |
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吉見 正信先生 昭和26年1月24日〜昭和27年11月30まで、岩手中・高校の国語教諭 | |
平成21年5月に お元気ですかと、吉見先生宅を小枝指会長と一緒に訪問しました。 ■吉見先生は心身共にすこぶるお元気そうで、特に口は益々お元気のようでした。 年間多い年で講演を100回位こなしているとか。口が元気なのに納得です。 ■文芸評論家として筆で活躍と思っていましたが、手と口で元気に飛び回っているようでした。 宮沢賢治、石川啄木については第1人者で、執筆と講演はそれに関するものが多いようです。 FM岩手のイハートーブエッセイは16年間続いているそうです。 ■趣味は、本業の文芸と即座に回答していただきましたが、その他にはとお伺いしたところしばらく回答が無く、照れくささように 囲碁と答えてくれました。 腕前は3段とのことで、2001年に退職教員囲碁大会(参加者30名位)で優勝したそうで、そのときの優勝トロフィーが 本、文献資料の 中にありました。 最初は文筆関係のものかと思っていましたが、なんかつれあいのとれない場所にありました。 |
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■色々と現在のご活躍の様子、エピソードなどお伺いしましたが、私達が一番興味があったのは、 「石川 啄木新婚の家」第一発見者は吉見先生であったことでした。 ちょうど私達が岩手中学に入学した年(昭和26年)1年乙組の担任が吉見先生でした。 発見した時の様子は、イーハトーブ私記(2)「 啄木新婚の家」の第1夜に詳しく記載されています。 (発見のヒントになったのが、石川 啄木の随筆「我が四畳半」であったとのこと。探しても見つかりませんでしたが、 「閑天地」の中に 「我が四畳半」が(一の上)〜(八)までありました。参考まで。 「石川 啄木新婚の家」については独自に纏めてみました。是非クリックをお願いします。 |
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■色々大変楽しいお話を伺い有意義なひと時を過ごさせていただき、元気をもらったような気分でした。 一つ気になったなったことがあります。 講演は口が達者でないと出来ないが、同じ口を使用するタバコ、夜のお水が多いように感じました。 もう少し控えめにしていつまでも元気でご活躍をお祈りします。 (先生に説教めいたこと、誠に僭越でした。乞お許しを。) |
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経歴 1928年 東京と杉並区に生まれる 大東文化学院(現大東文化大学)中国文化科卒 東京での雑誌記者生活から転じ、昭和26年1月24日〜27年11月30日まで岩手中・高校の国語教諭 以後岩手県下の高等学校教諭として勤務 のち岩手大学教養部、人文社会科学部、富士大学非常勤講師を経て研究著作に専念 宮澤賢治学会イーハトーブセンター発起人、宮澤賢治賞・イーハトーブ賞選考委員長を歴任 現在東方学会会員、高村記念館評議委員、岩手史学会評議員、いわて教育文化研究所所長 テレビ、ラジオでも活躍中 主な著書 「宮澤賢治の道程」 「宮沢賢治の言葉」その他 参考 石川啄木の -至福- 宮澤賢治「稲作挿話」 -その修羅の真実- 石桜新聞より イーハトーブ私記 |
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