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│TOP│三田 循司の作品(詩)│三田 循司関連ハガキ・手紙│Photo Gallery│ | |||||||||||||
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父 三田勇治 | ||||||||||
三田 循司 | 明治22.9.17~昭和50.12.31 | |||||||||
太宰 治 | 大正6.9.17生まれ(花巻) | |||||||||
明治42.6.19~昭和23.6.13 | 花巻で三田製糸所、映画館経営 | |||||||||
昭和 6.4.1 旧制岩手中学校入学 昭和10.3.3 旧制岩手中学校卒業 |
戦前より旧花巻町会議員 岩手県会議員 1期 (昭和26.4.30~昭和30.4.29) |
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昭和15年12月13日 三田 循司と戸石 泰一、 初めて太宰 治宅を訪問 この日は満月の夜であった |
郷土兵団物語より | |||||||||
昭和10.4.1 旧制 二高入学 昭和14.3.31 旧制 二高卒業 |
第一回アッツ島遺骨収拾団に 岩手県を代表して参加 (昭和28.7.1~7.25) 三田 勇治のアッツ島遺骨拾集団日記 |
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昭和14.4.1東京帝国大学入学 昭和16.12 東京帝国大学 繰上げ卒業 |
アッツ島見取図 | |||||||||
太宰 治が三田 循司の 玉砕を知ったのは 昭和18.8.29の新聞発表で知る 三田 循司の戦死を知り、彼を主人公に 「散華」を書き 「新若人」昭和19年3月号に発表する |
弟 三田 悊 | |||||||||
大正8.11.17~平成4.12.27 | ||||||||||
昭和17.2.1 徴兵 歩兵第105連隊に入営 昭和17.10.26 北海守備隊に転属を命じられる 昭和18.1.23 崎戸丸、君川丸に分乗 幌筵を出港 昭和18.1.31 ホルツ湾入港 兵員総計 26.114名 昭和18.5..12 アッツ島戦闘開始 昭和18.5.29 玉砕 昭和18.5.30 大本営アッツ島部隊の玉砕公表 敵兵力20.000 昭和18.8.29アッツ 将兵の氏名発表 何れも2階級特進 三田 循司は2階級特進兵長 詳しくは戸石 泰一の「玉砕」参照 |
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父の経営する映画館の手伝い | ||||||||||
父没後花巻で2軒映画館経営 | ||||||||||
三田 循司が交流のあった関係者に 山岸 外史と戸石 泰一がいた |
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花巻出身国会議員 北山 愛郎の 東京、地元秘書 (昭和35~58年) 花巻市会議員 5期 (昭和46.4.30~平成3.4.29) |
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山岸 外史 | ||||||||||
明治37.7.16~昭和52.5.7 | ||||||||||
山岸 外史 |
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三田 循司17回忌に碑に謹書 | ||||||||||
浦田 敬三 太宰 治と三田 循司 浦田 敬三 昭和27年6.7~28年3.31 岩手中・高校国語講師 |
兄循司の関係で太宰 治、山岸 外史、 戸石 泰一と交流あり |
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アッツ島関連URL | ||||||||||
三冊の手帳 三田 悊 |
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戸石 泰一 | 三田 循司の 発表されている作品(詩) |
太宰 治から三田 悊に宛てた礼状(ハガキ) | ||||||||
大正8年~昭和53年 | ||||||||||
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追想 三田 循司 「北の海」 山田 秀雄 |
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親友三田 循司のアッツ島での戦死を題材に 昭和27年9月に「小説朝日」に「玉砕」を発表 「玉砕」 1 「玉砕」 2 「玉砕」3 |
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青い波がくずれる 戸石 泰一 わたしの太宰 治「別離」 (昭和47年12.5) 「別離」 1 「別離」 2 「別離」 3 |
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「散華」の頃 戸石 泰一 | 太宰 治の弟子たち 井の頭公園の青春 山本 貴夫 |
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三田 循司の妹 三田 綾子・四郎夫妻 | ||||||||||
三田 綾子・四郎夫妻が三田 循司の遺品保管 | ||||||||||
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平成21年6月19日 テレビ、新聞で公表 | ||||
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昭和16.7.11 本郷区向ケ丘彌生町3 鈴木館内 三田 循司宛 | 昭和16.8.3 本郷区彌生町3 鈴木館内 三田 循司宛 | ||||
昭和16.9.24 本郷区彌生町3 鈴木館内 三田 循司宛 | 昭和17.1.13 岩手県花巻町1日市 三田 循司宛 | ||||
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編者が三田 循司の遺品の整理を委託されている、日記風大学ノート20数冊を 整理している最中に偶然に新たに平成21年7月29日に1通発見しました。 もう少しで見逃す状態でしたが、今まで発見したものより古いもので、しかもそのハガキに対する感想文も記してありました。 |
昭和15.12.18 本郷区向ケ丘彌生町3 鈴木館内 三田 循司宛 「夕暮れ」 「高架」がいいと思います、と評価している。 |
この状態でノートに感想文 |
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太宰 治からの未発表のハガキにめぐり遭う迄の経過 |
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石桜同窓会赤澤 征夫が資料提供した太宰 治研究の第1人者 山内 祥史 編者 太宰 治研究18 |
三田 循司と太宰 治 |
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