現中国北京冬季オリンピックが開催されとおり、多くの岩手県勢が活躍している。
  特に小林陵侑選手の金メダルの快挙で盛り上がっています
   さかのぼること50年前の札幌オリンピックと同窓生のエピソードです。
 
 
 
 
1972年札幌 冬季オリンピックの記録映画に
 石桜同窓生 瀬川徹夫(新14回生)が録音技師として参加
 
 
       1972年札幌冬季オリンピック
         昭和47年2月3日~13日 於札幌市
 
       カラー長編記録映画「札幌オリンピック」
         監督 篠田 正浩
         録音 瀬川 徹夫(岩手高校卒新14回生)
 
       制作会社 ニュース映画制作者連盟
       配給東宝株式会社
       配給協力松竹株式会社
 
 篠田監督の手により、最も優雅な美しさをたたえた
オリンピック公式映画の一つといわれている。 
 
 
 


   
記録映画ポスター  篠田 正浩監督  瀬川 徹夫(新14回生) 
 
 この記録映画から同窓生瀬川徹夫さんのエピソードが
 盛岡タイムス「天窓」で取り上げられた
 
 盛岡タイムス「天窓」(2022.29 1面)より転記
 
   天 窓

   小林陵侑選手の金メダルは長野五輪の船木和喜選手以来でジャンプで24年ぶり。
  その前の札幌五輪の笠谷幸生からは50年目の栄冠である。
 
 ▼笠谷選手のジャンプは盛岡市出身の録音技師の瀬川徹夫さんが篠田正浩監督の公式映像に携わった。
  当時の失敗を聞いたことがある。笠谷選手がジャンプ台を登る途中、録音スタッフがテープレコダー
  持って「調子どうですか」と声掛けた。笠谷選手が「ばか野郎」と立ち去った。
 
 あとで「なんなんだ人に声掛けやがって」と怒っていたらしい。瀬川さんは「あそこは一歩一歩考え
  ながら階段を上がるところで、それが選手のセオりーだった。そこにいきなり録音機持った変な
  やつが」と悟った。
 
 ▼ところが「ばか野郎」はちゃんと録音されており、迫真性として公式に入れようと思った。
   しかし篠田監督は「そういうことだったのか」と初めて気付き、やはりカットした。メダルが懸る
  選手の本番前、不用意に声を掛けてはならぬのは当然なのに、名匠にしてそれが分っていない。
  まだのんびりしてたのだ。
 
 ▼当時の札幌の街を写真で見ると、今の盛岡より大きいが現在の仙台より小さく、地方都市然として
  いた。五輪後は地下鉄が走り大発展。いまや200万都市である。
  開催地も高くジャンプした。良き時代だった。

 盛岡タイムス様の承諾を得て転記しました。2022.2.9発行1面「天窓」より