岩手県ハンドボール協会 平成元年11月23日発行 創立40周年記念誌 岩手県ハンドボール史に投稿した 岩手高校関係者分をまとめました。 |
ハンドボールの思い出 石桜クラブ 舘 沢 直 幸(昭和30年卒 新7回生) 私が送球(昔は送球と呼んでました。)を始めたのは昭和26年4月でした。先輩の誘いで送球部に入ったのはいいけれど、送球と言う言葉を聞くのも始めてでした。 3年目と言う送球部は部費もなく、ランニングに背番号とまるでグランドでバスケットをしているようでした。 ルールもはっきり解らず試合が始まり、その時その時ルールを箱崎先生から教えられ試合をしたものでした。 それから40年も経っているとは思いませんでした。 一流選手が出て来ている今、声を大にしてバンザイをしたいと思います。 箱崎先生是非お会してあの頃のお話を! 私とハンドボール 石桜クラブ 泉 沢 則 夫 私とハンドボールとの出会いは、思いがけないものだった。 上田中時代、野球部で3年間の活動を終えた後、チームメイトで一高、白亜クラブで活躍された斉藤さんの弟さんに乗せられて中体連大会に野球部全員で出場し、一気に優勝してしまった。 大会講評で梅野先生に、そっくりこのメンバーで高校まで続けてくれたらと言わせるほどであったが、ぶっつけ本番の試合だった。 岩高、東北学院、地元での白亜、商友会、教員クラブとの戦いや高校での9年振りに東北大会出場を決めた盛商戦、大学の日韓学生国際親善試合も忘れられない。 ハンドボールと思い出 石桜クラブ 三 浦 敏 彦 昭和33年岩手高校に入学。中学で体操部や柔道部の門をくぐり、その後重量挙(県体で2位)のクラブに通いながら、実兄の後を追ってハンドボール部に入部。 県内男子校は、岩高、盛一、盛商、花北の4校だけの競技で、布団持参で校舎で合宿したり、先輩の差入れが砂糖であったこと等が思い出されます。 昭和36年に協会の御推薦を頂き、全盛時代の芝浦工業大学に進みましたが、14名の新入部員が卒業する頃には9名のみで、筆舌しにくい程のハードな心身の練磨の日々は、小生にとって青春時代の貴重な体験として思い出されます。 私をハンドにつれてって 石桜クラブ 岡 村 悟 もう18年の付合いです。 思い出す試合といえば昭和48年盛一戦、再々延長戦後の抽選負けや、大学同好会結成後の初陣で極度の二日酔いのため私自身初めて1点も得点できなかったことなど負け試合ばかり。 しかし試合内容などは忘れていっしょにプレーした人達の顔や特徴あるフォームが懐かしくまたいっしょにプレーしたいなあと思うと思わず顔が綻びます。 協会40周年おめでとうございます。競技人口が益々増加することを期待し、そして心も技もすぐれた指導者がもっとたくさん現われ、子供達を指導してくれることを切望いたします。 |