昭和24年4月、東京高師で活躍した箱崎 敬吉、永井 勝雄らが盛岡高校、一関高校に それぞれ赴任し指導したことに始まる。 ハンドボールとはどんなものか全く知られていないころの指導、普及はなみたいていのことでなかったろう。 ともかく両校は、チームを作って6月、花巻グランドで行われた第1回県高校総体にオープンゲームとして一般に紹介したのが岩手県での最初の試合であった。 その後、日本協会の的場 益雄氏を招いて、技術講習会を開くなど、体育指導者や高校生への指導、普及に務めた。 秋の第1回県民体育大会には花巻高、岩手高も参加したが結局盛岡高が初優勝を飾った。
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