昭和30年前後の      岩手高校ハンドボール



 ■この時代高校ハンドボールは盛岡一高の時代が長く続き、
   それに続いたのは岩手高校であった。

 ■昭和34年までに盛岡一高と岩手県高校総体で8回決勝を争った。
   いずれも敗れたが、31年には盛岡一高とともに東北選手権に出場する。
   決勝でも盛岡一高と対戦、健闘およばず7-6で初優勝を逸した。

 ■宮野 典夫(岩手高卒 新9回生)が主将で、中里 松寿(岩手高卒 新9回生)らがFWで活躍した時代。

 ■宮野は法大でも主将をつとめ、関東学生リーグては強肩の選手で知られた。

 ■宮野の先輩では館沢 直幸(岩手高卒 新7回生)、後輩では芝浦工大のマネジャーをした
   三浦 敏彦(岩手高卒 新13回生)らが注目された。

 ■一般男子では「白堊クラブ」の結成が早かった。昭和25年
   その後石桜クラブ(岩手高OB)、花巻クラブ、関高OBなどが県内大会に出場するようになった。
   「白堊クラブ」は、昭和26年の初参加から数えて、第13回国体富山大会まで連続7回東北代表になって国体
   に出場。

 ■昭和32年国体静岡大会には岩手高OB 館沢 直幸を補強し善戦した。
   昭和36年国体秋田大会ては岩手高OB 宮野 典夫を補給し「全岩手」を編成し、東北大会で優勝し、国体
   では5位入賞した。