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久保澤 稔(旧制岩手中学10回生) 98歳の近況活動報告(2020.11.25) |
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おそらく、2020.11.25現在、同窓生最年長者は98歳の旧制10回生の「久保澤 稔」さんだと思われる。 |
現在千葉県柏市在住でお元気で趣味の弓道に励んでおられます。 |
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久保澤さんは盛岡出身で旧制岩手中学校に入学、13歳の時弓道部に入部し5年生で初段になった。 |
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中学卒業の頃 |
昭和15年、卒業期が近づいて将来の事を考える時期になったが、私の性格から形にはまった事は嫌いだ |
から、役所には向かないと自分で 思っていたから上級学校への進学は無理と考えていた。 |
当時岩手県庁前の図書館に時々かよっていたが、閲覧室に日立製作所のパンフレットを置いてあるのを |
見て、機械関係の仕事に就くなら日立が良いかもしれないと考え、早速盛岡・中の橋のたもとにあった職業 |
安定所に行き、親にも相談せずに就職の申し込をした。 |
しばらくして東京から担当者が来て職安で面接試験ががあったが、受験者は私と盛岡中学から2人の3人で |
あった。私はパンフレットにあるような機械を作りたいという希望をはっきり述べたのが効いたのか採用 |
通知が届いた。日立に正式に入社したのは昭和15年3月15日であった。 |
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社会人になって |
会社に全国から新人社員として集まったのは26名程で皆優秀な若者ばかりであった。 |
教育のカリキュラムは、最初の6ケ月は朝8時から10時間の基礎学科授業、以後、7ケ月目から夫々職場に |
配置され、午前は学科の授業で午後は職場で実務の実習、2年目からは、工業学校卒の連中と一緒になって |
週1回の集合教育を受ける。 |
最後に、17年12月迄に実習の成果を研究論文にまとめて提出することが義務づけられていた。 |
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研究論文と徴兵 |
研究テーマを決めなければと思っていたところ、ある特定の工具の消耗が異常に多いことに気が付いた。 |
その工具とは、アルミ鋳物にネジ穴をあけるタップと言い、とても精密で製造できる会社は東京付近で数社 |
しかなかった。 |
私は「なぜ柔らかいアルミを加工すると摩耗が多くて、硬い銅の場合は摩耗が少ないのか、摩耗度はどの位 |
か」に疑問を持ち、これらの解明を卒論のテーマにしようと考えた。 |
学卒者は入社2年目の終わりに研究報告をして、初めて1人前と認められることになっていて、学卒者の |
配属を受けた部署では、課長以下世話をするのが普通であったが、既に戦時に入ったこの時期では、皆夫々 |
が忙しくて私の世話をするような余裕は無く、全て自分がしなければならなかった。 |
しばらくして論文の纏めに入ったが、研究論文の書き方など知るはずもなく、工場の図書館にある先輩の |
論文を参考に纏めに入った。 |
ところが、あと数頁というところで召集令状が届き、それには昭和17年12月7日に北海道帯広に入隊せ |
よとあった。 |
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私は、大事な結論の部分は、令状を横に書き上げ「タップについて」と言うタイトル |
を付けて提出し、工場を後にした。 |
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入隊後暫らくして、会社から私の隊に「計算尺」が送られてきて、それには「論文賞」 |
と彫り込んであり、私の努力が認められた事を知り本当に嬉しかった。 |
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タップ |
この計算尺は今でも青春の記念品として私の宝物です。 |
このころ私は、既に甲種幹部候補生として将校コースに入っていたから、職業軍人になるよう隊長から勧め |
られていたが、既に機械技術者とし進む決心がついていたので断り、終戦そして復員の際は、迷うことなく |
元の職場に戻った。 |
復員後、研究課長をしていた人に挨拶に行ったら、私の論文の事を覚えておられ「君の論文の結論は実 |
に以外で、研究室で行った追加テストでも同様の結果であったこと、その後の生産計画に大変役立ったこと |
論文賞を貰った者は2~3名に過ぎなかったこと」など話してくれました。 |
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現在の私 |
その後も私は定年まで懸命に働いたが、気がついてみると少年の頃望んでいた機械技術者になっていた。 |
しかも、最も独創力を要求される開発設計部門で仕事が出来たのは本当に幸せであった。 |
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日立建機株式会社を設計課長として56歳で定年退職。その後日立産機システムに移り75歳まで務めた。 |
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仕事から解放された75歳に地元千葉・柏市に弓道場があるのを |
知り、入門し再び弓道に励み4段になった。 |
また、これからの目標は趣味の写真撮影、特に中学時代に植物の |
先生に教わった植物学の勉強を少し深く進めることである。 |
そのためには、野草の姿を正確に写真に記録することが必要で |
今迄4.000枚程集めることができた。 |
これから先、いよいよ足が動かなくなったら、写真に説明を付けて |
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久保澤 稔氏 |
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市の図書館にでも寄付をしようと思う |
(これまでの記事は平成4年3月に久保澤氏が作成した冊子「△を見て〇を知る」より抜粋転記)
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盛岡市立図書館に山野草写真寄贈 |
(令和2年11月27日に盛岡市立図書館を訪問し閲覧してきました) |
久保澤稔氏撮影の山野草のスライドを盛岡市立図書館に寄贈したのを契機に、その中から約30点を展示と |
講演会を開催されました。 |
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岩手の野草展 |
日時 : 平成4年5月15日~24日 |
会場:盛岡市立図書館 集会場 |
八幡平、駒ヶ岳、早池峰山等で撮影した高山植物写真約30点を展示 |
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講演会 |
演題 :「スライドで見る高山植物」 |
講師 : 久保澤 稔 |
日時 : 平成4年5月15日 |
会場 : 盛岡市立図書館 集会室 |
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盛岡市立図書館で久保澤稔撮影「岩手の山野草写真展」で |
申し込むと、右の写真のアルバムに収められた山野草の |
写真が閲覧できます。 |
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83歳から96歳までの「弓の稽古記録」をDVDに纏めてみました。 |
己に勝つ者を怨みず、反ってこれを、己に求むるのみ |
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DVDの内容 |
平成17年 弓の稽古 83歳 |
平成26年 弓の稽古 92歳 |
平成27年 弓の稽古 93歳 |
平成28年 新年弓渡し 94歳 |
平成28年 弓の稽古 94歳 |
平成29年 弓の稽古 95歳 |
平成30年 弓の稽古 96歳 |
平成30年 弓の稽古 96歳 |
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作成したDVDを見ると |
弓の稽古は、自分の体調を如何にコントロールするかにあると考え、平成17年から平成30年の稽古を記録 |
を纏めたのがこのDVDです。 |
これを見ると、年と共に射形の乱れが大きくなり、恥ずかしい形で終わっています。これが解かっていれ ば稽古の工夫もあったと悔やんでいます。 |
┃DVDをYou Tube にアップした画像見る┃ |
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「油圧ショベルUH03」が未来技術遺産に登録 |
私は長年にわたり日立建機で製品開発の設計に携わてきたが、平成30年に「油圧ショベルUH03」が |
「来技術遺産」に登録になりました。 |
UH03と久保沢澤氏 |
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( 国立科学博物館が、先進の科学技術に基づき開発されて、未来に |
残すべき製品を「重要科学技術史資料」 (愛称:未来技術遺産) |
として登録する制度) |
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この「UH03」は昭和40年に製造、独自技術の油圧モーターで、操作性や作動操作などの改善に成功し |
現在の油圧ショベルの原型になっている。 |
これに携った一人として実に考え深い気持ちです。 |
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最後に |
以上が私「久保澤稔(98歳)」の報告ですが、これ以外にも平成4年3月に発行した「△を見て〇を知る」 |
に色々記録しています。 |
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内容は、私の修業時代、私のカメラ論、自分の目標を掲げる |
設計と生産,マクロの見方、ミクロの見方について、設計と感性
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プロの職業人、UH03の設計思想等です。 |
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近いうちに、母校に寄贈し後輩にも是非、人性の糧として頂ければと考えています。 |
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※ これまでの記述の大半は、母校に寄贈予定の「△を見て〇を知る」より引用しました。 |
2020.11.30編集者 |
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