沢野起美子氏略歴(旧制菊池キミ)

                                                          ー手塚久子作成ーより引用
  明治29年1月  十二鏑村大字十二ケ 菊池礼三、2女として生まれる
 (現、岩手県東和町前郷)
  大正5年3月  岩手県師範学校卒業
  大正5年4月  土沢尋常小学校訓導(在職1年)
  大正5年10月  上京、沢野秀政氏と結婚
  昭和8年  秀政氏 日本整流器KK創立、社長就任
  昭和22年  同引退
  昭和36年  起美子郷里東和町に奨学制度のため育英資金200万円寄付
 同町の進学者援助育成に貢献
  昭和38年6月  秀政氏ガン罹患、これわ契機に詩業に入り、村野四郎氏に師事
  昭和42年6月  沢野起美子詩集「花の城」刊行
  昭和44年3月  沢野起美子詩集「モジリアニの筥」刊行
  昭和47年11月  沢野起美子詩集「冬の桜」刊行
  昭和48年11月  その詩集により土井晩翠賞受賞
  昭和52年2月  昭和詩大系 沢野起美子詩集刊行
  昭和63年4月4日  武蔵境病院で逝去。92歳
 盛岡市光台寺に於いて納骨式(5.22)

 
  詩の教室で師の村野四郎より村上昭夫の話を聞き、詩集「動物哀歌」を入手。
 同詩集に心打たれる。
 
  新書版の詩集「動物哀歌」が少ししか発刊されないことを知り、再刊を決意
 68年村上昭夫詩集「動物哀歌」(思潮社)を出版、印税は夫人のふさ子に渡るように
 手配する。

  75年村上昭夫詩誌「私をうらぎるな」建立除幕(作品の選は村野四郎)

  82年日本現代詩人会に1.000万円出資、現代詩人会では当事の会長・安西均、
 理事長・新川和江を中心に理事と相談し「現代詩人賞」を創設し公益信託現代詩人賞
 澤野起美子とする文部大臣許可を得る。(基金は84年にも2.000万円出資)

  澤野起美子の心は常に故郷を向いていたように思う。
 奨学金の設立、村上昭夫詩集の出版、詩碑建立などが好例であろう。

  自宅を売却したあたりから澤野の心はもっと広い故郷の詩界に向けられたようである。


(北畑光男)


    あなたの魂

  ヒマラヤ杉の大木の
  枯れた小枝に
  見えない形で
  ぶらさがっているもの

  その枝々に鳩が来て啼いたり
  小鳥達が来てさえずったりしている

  私がどこかへ出掛けようとすると
  いつもあなたはそこから降りてくる

  私の佗しさを
  いっしょに負うていきたいというように

  私の跡に ひそひそと
  ついてきて
  ああ はてしもない




左平沢貞二郎氏と沢野起美子さん

写真は平沢貞二郎(H氏章創設者)と沢野起美子氏
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