上の写真は小笠原哲二先生が愛用していた絵具
 アブストラクト・ペンテング 作者 ばばあきら(新11回生)
 
 小笠原先生投稿記事 石桜新聞29号(29.7.19)ゴヤ展を見て||石桜新聞35号回想の記・幼き日の想い出
 石桜同窓会HP    |温故知新「小笠原哲二先生」||小笠原哲二展&ギャラリートーク
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岩手高校絵画部OB会
 
恩師小笠原先生に思うこと 
石桜モンパルナス 8人 手記
 
中村 光紀(新10回生)||重茂 佳伸(新10回生)||高原 光男(新11回生)松坂 英孝(新13回生) 
村井 睦平(新14回生)||宇津宮 功(新15回生)||村上 誠(新17回生)||藁谷 収(新24回生) 
石桜同窓会会報(昭和55年会報11号)より「小笠原先生を悼む」宇津宮 功
 
小笠原先生が担任時 生徒の手記
 
宇夫方 康夫(新6回生)||斉藤 裕
 
岩手高校石桜同窓生の岩手県立美術館収蔵者 
 
佐々木 一郎(旧制3回生)||佐藤 祐司新制2回生||宇津宮 功(新制15回生)
 
 
 
 
 
   その中、11点が岩手県立美術館常設展が平成30年10月20日~平成31年1月20日迄
 展示紹介されています。
   その11点と未公開11点を岩手県立美術館の配慮と許可を頂きましたので紹介します。
 岩手高校旧校舎を描いた作品1点もあります。 
 
   第3期常設展で紹介された展示作品(11作品)
 


     
「花」 油彩 
寸法(cm) 45.3×33.2
上田風景 油彩
60.2×40.6
〔絵画室にて(1)〕
52.0×33.0
秋の測候所
52.5×40.7
 


     
林檎の花咲く丘
60.6×45.0
早春の教会堂
52.5×40.7
五月の植物園
64.5×49.3
常 設 展
ポスター 
 


     
岩手高校
31.5×40.8
秋の水道山付近
40.6×52.6
風景(煙突のある)
41.2×53.0

33.2×52.9
 
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新収蔵未公開作品(11作品)
 


 
     
夏の夕暮れ(赤山にて)
45.0×33.0
絵画室にて(2)
63.5×23.0
盛岡市街を望む
(北山にて)44.9×37.5
南昌山遠望
40.3×31.5
 


     
第九十銀行遠望
45.1×60.1
武徳殿
37.5×45.3
煙突のある風景
31.6×40.8
煉瓦工場と医大
31.7×40.8
 


     
ギリシャ正教ある風景
37.8×45.2
岩手公園
31.4×40.8
中津河原/秋の暮れ
40.5×60.4
 
 
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   哲治先生は生涯画家と名乗ることも、また人にそう呼ばれることも良しと
  しませんでしたが絵画への真摯な取り組みと、残された数多くの作品は絵を描く
  ものとしての天性を感じさせた。
  
  世間的な名声を求めず、「街の美」を題材にひたすら自分の描きたい絵を描き続けた。
  昭和14年から始めた個展は28回開催され、そのて展示作品は1.000点以上とも
  いわれている。
 
  明治36年、九戸郡軽米町にて次男として生まれる。
  芸術家で多趣味な父のもとで育ち、小さい頃から絵が得意だった
  哲二先生は岩手県立盛岡工業学校機械科卒業後、陸軍省航空廠
  所沢製作所に入り製図等 の仕事をする傍ら
  太平洋画会研究所に入所し鶴田吾郎石川寅治らの指導を 受ける。
  しかし栄養失調から体をこわし、1年余で帰郷。その後も故郷で代用
  教員などを務めながら、夏休みなどに上京して研究所やその他の
   講習に通いました。
  大正12年から地元の七光社展、昭和4年には素顔社展に出品。
   ※七光社(ななこうしゃ) 岩手洋画発展の功労者「清水七太郎
     らが結成
 
  ・昭和5年 黒沢尻高等女学校嘱託教諭 母校校舎
  西側から望む 
  ・昭和8年 岩手中学校嘱託教諭
  ・昭和9年 岩手教員会嘱託、岩手教育「小学校練習帳」表紙を担当
  ・昭和12年 平館清七、荒浜栄悦らと「岩手教育美術協会」設立
  ・昭和16年 第7回太平洋画展で入選
  ・「岩手美術連盟」を結成、幹事に就任
  ・昭和22年 「盛岡市内高等学校美術連盟」を海野径と共に結成、顧問となる
  ・昭和23年 岩手中・高等学校教諭に任命
   教え子には美術関係に進んだ者も少なくありません。
 
  30代までは中央の展覧会にも挑戦、入選も果たしましたが、仕事の合間に作品を描き
   あげ、それを東京まで運搬するのに手間がかかることもあって、戦後は中央への出品
  は止めてしまいました。
  忙しい務めの合間をぬっての制作でしたが、亡くなるまで開いた個展は通算28回。
 


 
 「自然に向っていればすべて忘れられる」と言っていた哲二先生の
 作品はほとんとが風景画で、大きいものでもせいぜい30号。
 家にアトリエがあるわけでもなく、おのずと足は外へ向かいました。
 小品主体ながらキャンバス擬縮された表現、温かみを保ちながら
  甘さに流れない筆致。色彩の豊かさで長年のうちに沢山のファンが
 生まれた。
 和44年に定年退職。昭和56年、前年77才で世を去った哲二先生を
 偲んで画友や教え子達が企画した「追悼の小笠原哲二展」では
  300点近い油彩が会場を埋め、多くの鑑賞者を集めました。
 
 
   岩手美術連盟幹事、岩手県高校美術連盟顧問など歴任して岩手の美術関係の
   発展と指導にあたられました。

石桜同窓会会報への投稿作品  


 
     
 冬の中津川
会報 昭和47年 第7号
 冬の城址
会報 昭和49年 第8号
 冬の自転車置き場
会報 昭和50年 第9号
早春の孔子廊
会報 昭和51年 第10号
 
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小笠原哲二先生の詳しい年表
 
 
 
             作品の画像と公開資料未公開資料岩手県立美術館提供
 
 

     平成30年度 石桜同窓会顕彰事業「小笠原哲治先生」を制作するにあたり
     多数の作品画像、作品資料を「岩手県立美術館」より提供を頂きました。
     改めて感謝とお礼をもうしあげます。

 
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