|
「石桜体操生活あれこれ」 |
佐々木好洋 昭和33年卒(10回生)
|
昭和27年春、体操部の練習風景に憧れて入部し、6年に亘る体操生活が始 |
まった.初めは懸垂が1回もできず非力さ故に辛い思いをしたが、厳しさの中 |
に楽しさがあり、姫神山にピクニックしたり、上級生に肩車して貰ったり、そ |
んなアットホームな雰囲気がたまらなく好きになった。 |
話は高2まで飛ぶが、その年の高校総体で惨敗し屈辱を味わった。その時の |
チームは高3不在、高2が自分だけ。高1が3名という陣容であった。それ |
からは優勝のみを考え、前例のない冬合宿やいろんな強化策を試みた。 |
|
翌年、優勝旗を手にしたときは 嬉しさと安堵が半々という心境であったが. |
足澤先生・諸先輩・山中校長・担任の先生から労委を頂き冥利に尽きた。 |
以後の7連覇は偉業であり誇りに思っている。 |
|
印象深い思い出がある…宮古高校との合宿(於;宮古市)は心躍る体験であった。 |
先の津波は大丈夫だったろうか。とても気に懸っている。 |
早稲田大学チームの素晴らしい演技を見させていただき、目で学ぶことの大
|
切さを知った。佐々木名誉校長・山中校長が臨席された。 |
高3の時、高校総体で岩高の旗手に指名され、さらに県民体育大会で日章旗 |
の持ち手に指名されて入場行進を行い、得難い貴重な体験をさせて頂いた。 |
あれから幾星霜、【練習で泣いて、試合で笑え!】と導いてくださった足澤 |
先生の教えは今も【座右の銘】として心に刻んでいる。 |
石桜体操がくれた多彩な岩高ライフ、出会えた素敵な方々に感謝、 |
感謝の念で一杯です。 |
|
|
|
昭和27年 姫神山登山 |
昭和32年 高校総体優勝 |
|
左から 五日市享児、阿部光昭、戸塚安紀、 |
|
佐々木好洋、足澤先生 |
|
<拡大写真> |
|
昭和31年 第4回県新人戦 高校男子団体 1位 |
昭和32年 第12回国体(静岡) 出場 |
昭和32年 全日本高校選手権大会(秋田) 高校男子団体に出場 |
昭和32年 第10回東北大会(山形) 出場 |
昭和32年 第9回県高校総合体育大会 団体 優勝 |
|