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高校3年 卒業アルバムより |
体操部での挑戦
遠藤政二 昭和29年卒(新6回生) |
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私が岩中に入学してすぐに入部したのは水泳部でした。きっかけは体操の時間に私の跳び箱 |
を見て、足沢先生に誘われて体操部に鞍替えしたのが始まりでした。 |
体操競技がまだマイナーの時代です。初めは何をするのかわからず、ラジオ体操の延長線で |
身体が柔軟になり鉄棒と飛び箱が上手くなる位にしか考えていませんでした。 |
ところが入部し、練習に参加してみてその面白さに驚きました。もともと飛行機乗りになり |
宙返りに憧れていたので、回転技は得意でした。小学校の頃から地上転回や逆転に鉄棒での後 |
ろ回転や前転を得意になってやっていました。ところが、そんなものと違って、ずっと高度な |
技を先輩たちがすいすいとやっていたのです。これは面白いとすぐにめり込んでいきました。 |
ところが、体操競技は種目も6種目と多く、それぞれで多くの新しい技を覚え、それを連携 |
させる必要がありました。朝練、放課後の練習や休日練習と夢中になって練習しても中々上達 |
しない毎日です。それでもめげずに毎日繰り返して練習に明け暮れました。まさに暗い内に家 |
を出て、暗くなってから帰る日々でした。 |
最近のように科学的な練習法も設備もない時代です。先輩たちに教えてもらい、補助しても |
らい、新しい技を覚えてくると、もっとうまくなりたい気持ちで、自分でも挑戦、継続した練 |
習と技の工夫の連続でした。 |
そうして、一応選手として試合を経験することが出来ましたが、自分の油断で鉄棒から振り |
落とされて、左腕の骨折をして選手生命を絶たれてしまいました。それでも練習を続け、工夫 |
を重ね、団体徒手選手の一員としてそれなりの成績を収め、自分の得意だった回転で特殊種目 |
ながらタンブリングで全国高校総体にて6位入賞をはたすことができたのです。 |
卒業後は化学工業の技術分野に進みましたが、戦後における草創期の工業を建設するのに、 |
岩中・岩高体操部時代の練習で得た、新しい技への果敢な挑戦、継続した習練とそれを素とし |
た工夫する精神が役に立ちました。多くの新技術を開発し、多少なりとも世の中に貢献出来た |
原点が体操部にあったと思っています。感謝です。 |
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(2013.12.14 記) |
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体操部員一同 |
昭和27年3月 体操部 |
昭和27年3月 |
第三回石桜体競技会 |
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昭和27年 姫神山登山 |
昭和27年全国高校選手権大会(京都) |
昭和29年 卒業アルバムより |
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<拡大写真> |
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昭和27年 全日本高校選手権大会(京都) 高校男子団体 10位 出場 |
昭和28年 全日本高校選手権大会(埼玉) タンブリング 5位 |
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