岩手中学校 盛岡中学 岩手医専時代

  昭和6年(1931)
    旧制2回生

  盛中との第3回定期戦((昭和6年4月29日午後2時30分 盛岡中学グランドでキックオフ)
    岩手中学3対8盛岡中学で初めて惜敗    
この試合の様子は「石桜」第28号 戸嶋正夫主将の報告を 


  盛中との第4回定期戦(昭和6年11月)
     前戦のかたきは秋に討つと必勝の構えで、メンバーをがりと変え、戸嶋主将の
     もとに堅く結束、走り勝って雪辱
    岩手中学11対6盛岡中学


  岩手中学の戸嶋、藤森、藤原の3人は、卒業後日本体育会体操学校に進み、
  協力し合ってラクビー部を創設した。
  
  同校はのちに日体大になり、昭和44年の関東学生対抗リーグ戦でしにせの
  早、慶、明などを破って初優勝するが・・・・
  この部の草創期にはこうした岩手中学の卒業生の努力があったのである。


  昭和7年(1932)
    旧制3回生

  岩手医専主催 第1回東北中等学校ラクビー大会
   昭和7年11月19日(土) 盛中グランド
    決勝 岩手中学3対35 の大差で大敗
                       (この大会は1回限りで終わっている)

  昭和8年(1933)
    旧制4回生

   石桜同窓会発会式(昭和8.2.11)

  盛中との春の定期戦 盛中グランド
   岩手中学12対3盛岡中学

  盛中との秋の定期戦 盛中グランド 
   岩手中学6対12盛岡中学               この試合の様子は「石桜」31号より
                           昭和8年石桜会役員名簿

  昭和9年(1934)
    旧制5回生

  岩手中学対国鉄土崎工場戦   土崎工場(現秋田総合車両センター)
   昭和9年6月10日高農グランド
   岩手中学6対11土崎
  盛中との定期戦
   昭和9年11月11日
   岩手中学9対9盛岡中学

        
          医専グランド完成



平成9年の医専グランド
(現杜陵高校)

<拡大写真

 グランド東側の赤山地区に、高さ約60m位の
 赤土地肌の急斜面があり、ここを切り崩して
 グランドを造成した。

 グランドは小さな砕石の表層で、試合が終わる
 と選手の膝、肘は生傷に悩まされ、赤土は水は
  けが悪く選手にとり激闘の想いで多いグランド
 であった

 昭和9年医専グランド完成
 昭和29年 黄金ラクビー場が完成するまで
  岩手県のラクビーのメッカであった。
   
     昭和29年黄金ラクビー場が完成するまで岩手県のラクビーのメッカとなる。

  昭和10年(1935)
    旧制6回生
 
  北日本選手権
   昭和10年9月19日 盛岡中学グランド
    岩手中学9対6盛岡中学
試合の様子と合宿を「石桜]34号で

  昭和11年(1936)
    旧制7回生

  東北ラクビー大会決勝
   昭和11年9月29日
    決勝 岩手中学6対3盛岡中学

  岩手中学対国鉄土崎工場戦
   昭和11年6月14日 医専グランド
    岩手中学6対14土崎

  秋田鉱山専門学校戦         秋田鉱山専門学校(現秋田大学鉱山学部)
   昭和11年10月17日医専グランド
    岩手中学13対8秋田鉱山専門学校

  栴檀中学校との対戦 栴檀中学校(現東北福士大学)
   昭和11年10月19日 15:50キックオフ 主審戸嶋石桜同窓会会先生 医専グランド
   
   北東北に名をなしている栴檀中学校ラクビー部が秋田遠征の帰路突然来盛し対戦した。

試合の様子と他の対戦経過、合宿は 「石桜」第35号で・・・


  松岡伊三夫 (旧制6回生 昭和11年卒業)の手記 


昭和10年夏 合宿




岩中ラクビーの思いで






 盛岡一高ラクビー部
松岡伊三夫氏    創立70周年記念誌より

 昭和12年(19337)
    旧制8回生

  岩手中学・盛岡中学混合軍対岩手医専戦
   昭和12年4月17日 医専グランド
    岩手中学・盛岡中学混合軍0対48岩手医専戦

  岩手中学対岩手医専戦
   昭和12年5月2日 医専グランド
    岩手中学3対11岩手医専

  岩手中学対盛岡中学戦
   昭和12年5月10日医専グランド
    岩手中学9対3盛岡中学

  岩手中学対土崎工場戦
   昭和12年7月6日 医専グランド
    岩手中学3対13土崎工場

  北日本中等学校選手権大会
   昭和12年9月27日医専グランド
    岩手中学3対0盛岡中学

  遠征
   全日本ラクビー大会東北予選
    昭和12年10月9日
         東北帝大評定河源
     岩手中学0対3栴檀中学校



昭和12年の試合の様子は「石桜」第36号で


昭和12年 岩手中学ラクビー部
<拡大写真>

  昭和13年(1938)
    旧制9回生




卒業アルバムより 昭和13年盛岡中学戦風景 旧9回生ラクビー部員 卒業アルバムより
<拡大写真>写真の上をクリックしてご覧ください

    新校舎完成(昭和13.2.13)

  ※ 奥羽電灯株式会社ラクビー部設立


  盛岡中学との春の定期戦
   昭和13年5月8日 医専グランド
    岩手中学校9対5

  土崎工場戦
   昭和13年6月6日 医専グランド
    岩手中学校8対3
     長年の宿願たる打倒土崎、とうとう初勝利

  全国中等学校ラクビー大会岩手県予選決勝
   昭和13年9月27日 医専グランド
    岩手中学校6対0盛岡中学
     仙台地区予選の出場権を獲得



昭和13年岩中蹴球部員
<拡大写真>

  仙台遠征
  全国中等学校ラクビー大会仙台地区準決勝
   昭和13年10月8日仙台評定河原
    岩手中学校15対0仙台工業

  全国中等学校ラクビー大会仙台地区決勝
   岩手中学校8対17栴檀中学校
    栄えある栄光を今年も又栴檀中学校にゆずりなみだを飲んだ。

   北日本ラクビー大会
   昭和13年10月14日医専グランド
    岩手中学校3対3盛岡中学
     闘志で岩中と対向しひきわける。(盛中校友誌52号より)

  全国中等学校ラクビー大会岩手県予選
   昭和13年10月27日 16:00医専グランド
    岩手中学校6対0盛岡中学

昭和13年の試合の様子は「石桜」第37号で

  昭和14年(1939)
    旧制10回生

  戸嶋正夫応召壮行試合

  岩手中学校は壮行しあいとして、岩手医専とのはなむけ試合を展開、
   岩手中学校9対6岩手医専  で勝ち恩師戸嶋を安心させて送り出した。


  戸嶋正夫部長
 
   昭和14年5月、応召で北支(満州)へ出征、昭和18年12月除隊。

   復職したが6ケ月後の昭和19年6月に再び応招、2度目は広島県宇品の船舶部隊
   に配属されたが原爆前に熊本に転属となり、同地で終戦をむかえる。
   
   昭和20年11月に復職した。



  岩手医専との第2戦
   岩手中学校3対岩手医専

  土崎工場戦
   岩手中学校6対9土崎工場

  盛岡中学との定期戦
   岩手中学校6対9盛岡中学
    みじめな敗れ方をしてしまった。

  全国ラクビー東北予選
   岩手中学校3対3盛岡中学
    延長戦に至りついに敗れてしまった。

  東北ラクビー大会
   岩手中学校3対3盛岡中学
    ついに好適に一矢をえずして本年の試合は終わった。

昭和14年の試合の様子は「石桜」第38号で

昭和14年 石桜会役員名簿
   松尾鉱山ラクビー部設立(佐藤常次郎(旧制6回生)らが主力となり結成)

   昭和15年(1940)
    旧制11回生


     岩手中学校ラクビー部部長に山中順三先生が就任


     大いに盛んになった仙台の7人制ラクビーに岩手県からもふるって参加
      岩手中学校、盛岡中学とも2チーム参加


   
第11回人制ラクビー東北大会
   昭和15年5月5日 仙台評定河原帝大グランド
    参加チーム9組
     第1回戦 岩手中学校B0対6盛岡中学
           岩手中学校A14対0盛岡中学
     準決勝   岩手中学校A14対0仙台工業
     決 勝   岩手中学校0対6栴檀中学校

   岩手中学校対岩手医専戦
    昭和15年4月27日 16:30 医専グランド
     岩手中学校0対22岩手医専

   盛岡中学との定期戦
    昭和15年6月15日 16:00 医専グランド
     岩手中学校3対14盛岡中学

   北東北ラクビー大会
    昭和15年9月29日 10:40  医専グランド
     岩手中学校6対5盛岡中学

   東日主催全国ラクビー大会東北地区岩手県予選
    昭和15月10日 14:25 医専グランド
     岩手中学校6対5盛岡中学

   東日主催全国ラクビー大会東北地区予選
    昭和15年11月24日 13:00 仙台評定河原帝大グランド
     岩手中学校3対11仙台工業

昭和15年の試合の様子は「石桜」第39号で

  昭和16年1941)
    旧制12回生


クリックして手記を・・・ 対医専を前に調整 昭和16年 ラクビー部員
山中先生以外は5年生
昭和16年
中山順三先生と
<拡大写真>写真の上をクリックしてご覧ください
 (石桜70年誌 より手記 辻公一郎(旧12回生))

   奥羽電灯戦
    昭和16年4月22日 医専グランド
     岩手中学校3対奥羽電灯

   岩手医専戦
    昭和16年4月29日 医専グランド
     岩手中学校0対42

   第12回7人制東北蹴球大会東北帝大主催
    昭和16年5月11日
       参加校5校 10組
    岩手中学校からA、B 2組が出場
    第1回戦 8:30キックオフ
     岩手中学校B6対3栴檀中学校A
    第2回戦 12:50キックオフ
     岩手中学校B5対6仙台工業B
    第1回戦 11:30キックオフ
     岩手中学校A3対6仙台工業A

   春季リーグ
    対盛岡中学戦
     昭和16年6月7日 16:00キックオフ 医専グランド
      岩手中学校6対6盛岡中学

   対土崎工場戦
    昭和16年6月8日 0:00キックオフ 医専グランド
     岩手中学校11対24土崎工場

   対松尾鉱山戦
    昭和16年9月21日 医専グランド
     岩手中学校25対3松尾鉱山

   対奥羽電灯戦
    昭和16年9月23日 医専グランド
     岩手中学校29対0奥羽電灯

   第1回盛岡地区中等学校蹴球戦
    昭和16年10月5日 医専グランド
     岩手中学校9対3盛岡中学

   全国中等学校蹴球大会岩手県予選
    昭和16年10月17日 14:00キックオフ 医専グランド
     岩手中学校17対5盛岡中学
      県代表として東北大会の出場権を得た。

   全国中等学校蹴球大会東北大会
    昭和16年11月8日 仙台評定河原グランド
    参加校 4校
     岩手中学校3対17秋田工業

昭和16年の試合の様子は「石桜」第40号で




クリックして手記を・・・ 滝川氏の勇姿 昭和14,15年頃 昭和16年頃
医専グランドにて
昭和15年頃の
応援風景
<拡大写真>
(石桜70年誌より 手記 滝川忠夫 私のラクビー部生活)



       岩手中学校ラクビー部部歌の誕生

         日々三網を銘記して
         鍛えたり精神(こころ)と技能(わざ)
         石桜の強きラガーには
         必勝の誓い堅し
         いざ征けいざ征けよ
         堂々の技能(わざ)を示し
         猛き精神(こころ)一にして
         ツララ ブラックイエロー
         ツララ ツララ
         ツララ岩中岩中ツララ

   昭和16年秋の作である。
  盛岡中学に大勝(17対5)して帰校する途中、山中部長が作詞し、校内での祝勝会で
  発表、合唱したという。
  曲は、慶応ラクビー部部歌から借用したものである。

    旧制13回生の武田武美は語る。
   「祝勝会は階段教室でやったと思います。
  歌を歌ったことがないという山中先生が、やや小さい声で一節一節歌い
  そのあとから部員もついて歌いました。

   あの頃は、部員もラクビーの知識がなかったのです。
  山中先生はルールブックを破いて回覧させ、数時間のルール研究会をもったり
   しました。
  戦術や記録法など本から吸収したわけです。
  先生は、それまでとは違う新しい観点からラクビー部を指導されたようです。

   かわいがられ、また厳しくしつけられました。
  あの部歌は青春の思い出につながります。
(石桜50年史より引用)


  昭和17年(1942)
    旧制13回生

    ※ 盛岡工専(現岩手大学む工学部)ラクビー部創設

   対岩手医専戦
    昭和17年4月18日 医専グランド
     岩手中学校11対0岩手医専

   対岩手医専戦
    昭和17年4月29日 医専グランド
     3対11岩手医専


旧制13回生 卒業アルバムより
<拡大写真>
   対盛岡工専戦
    昭和17年5月17日 医専グランド
     岩手中学校20対3

   盛岡中学との定期戦
    昭和17年6月20日 医専グランド
     岩手中学校37対0盛岡中学



足澤 至(旧15回生)提供 昭和17年〜18年頃 旧友と
前列左から2番目 足澤  前列より2列目左1番目 大沢 靖


盛岡中学との定期戦(通算成績)

     岩手中学校  盛岡中学校
 勝 敗   14      7
 引き分け    5      5
 得 点   240       126

  
   明治神宮国民錬成大会岩手県予選
    昭和17年9月25日
     岩手中学校46対0盛岡中学

     明治神宮国民錬成大会東北予選
    昭和17年9月27日 仙台評定河原グランド
     岩手中学校9対24秋田工業

   対松尾鉱山戦
    昭和17年10月18日 医専グランド
     岩手中学校41対0松尾鉱山

   対東北配電(元奥羽電灯、現東北電力)7人制定期戦
    昭和17年10月30日 医専グランド
     岩手中学校46対0東北配電

   対東北配電戦
    昭和17年11月14日
     岩手中学校61対0東北配電

昭和17年の試合の様子は「石桜」第41号で

  昭和18年(1943)
     旧制14回生

   対岩手医専との練習マッチ
    昭和18年4月3日 医専グランド
     岩手中学校6対0岩手医専

   盛岡中学との定期戦
    昭和18年6月11日 医専グランド
     岩手中学校15対0盛岡中学
      15年にわたった盛岡中学との定期戦は戦争の影響で、これをもって終了した。

昭和18年の試合の様子は「石桜」第42号で


      山中順三部長 昭和18年3月応召  しかし2学期に突然除隊帰還

      ラクビーはこの年より「闘球」となる

       いよいよ戦争は深みにはまり、外来スポーツは禁止された。
       ラクビーだけは「闘球」と変えられただけで存続された。


  昭和19年(1944)
    旧制15回生 旧制16回生


      戦争の影響で、試合をしたくとも出来ない状態に追い込まれた。

      生徒は軍事教練、学徒動員などで、まったく動きがとれなくなってしまった。
      岩手のラクビーは昭和18年を最後に、戦前の歴史に幕を閉じた。

      そして輝かしい戦績とラクビーの伝統校の岩手中学校も・・・

    この年の関係者の動向

     広嶋 英雄先生  大阪・浪速高等学校教諭
     戸嶋 正夫先生  この年の6月二度目の出征で広島・宇品の船舶部隊
     足澤  至先生  岩手中学校4年生(後に岩手中・高等学校教諭)
     大澤  靖    岩手中学校4年生(岩手中学校卒業、日体大、盛岡工業教諭、
                   岩手大学名誉教授、岩手県ラクビー協会会長)

     池野 和夫氏   岩手中学校入学(ラクビーで戦後活躍)


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