高橋克彦(新19回生 昭和42年卒業)


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いまこそ石桜
                                                                                        

                 
   大津波警報が三陸沿岸部に出されたと知ったとき、その地域に暮らす
 岩手高校同期生の多くの顔が頭に浮かんだ。
 わずか一月やそこら前、中学からの恩師である村上照五郎先生の火葬の場で
 会ったばかりの連中たちである。
 久しぶりに酒でも飲まないか、と皆に誘われたが、仕事もあって断った。
 それを後悔した。虫のしらせでもあっての酒の誘いではなかったのかと思ったのである。
 結局それは思い過ごしで、今は全員の無事の確認を得ているけれど、震災後何日かは気を揉んだ。
 米谷春夫の力強く元気な声と顔をテレビで見てどれほど安心させられたことか。
 普段は滅多に会わないが、同期生はやはり人生で得た大事な宝の一つだ。

  同期生に恵まれた、と考える卒業生は多いはずだ。岩手高校の同窓生に会うたびそれを感じる。
 だれもが自身の高校時代を懐かしみ、同期生のだれそれの名を誇りを込めて口にする。
 同期会の仲の良さも他の学校の卒業生には見られないものだ。なぜだろう、と首を傾けてしまう。
 仲間のことを思いやり、陽気で、飾らない人間ばかりが選んだごとく岩手高校に入学してきたとはとても考えらない。
 やはりこれは校風が育てたものではなかろうか。入学して卒業するまでの間に全員が知らず知らず石桜精神の
 根本である一人で戦いつつも、他を思いやる心を授かり、理想とするようになるのだ。だから同期生はおなじ志を
 抱く得がたい宝となる。本当に、この歳になって分かることだが、同期生の皆が清々しく、潔い者たちに思える。
 岩手高校は人を育てる学園だったとつくづく思う。

  大地にしっかりと根を張り、柔らかな心ながら頑固な岩をも割る思いも持ち、自身の咲かせた美しい花を他人の
 喜びと変える。我ら岩手高校の卒業生はだれしもがそれを胸のそこに秘めている。

  そしてそれは、今の大震災を乗り越える一番のキーワードてはないのか。

  もしかすると今の東北を救う唯一の精神なのかも知れない。
 優しさだけでは挫ける。岩を砕く不屈の意思が求められる。
 いや、なにより、咲く花は自分のためではないという心が多くに勇気を与える。

  岩手高校はこういうときのために私たちを育ててきたのではないか。
  そんな気がしてならない。