内記 康晴(新43回生) このたびは、岩手中、高等学校創立70周年を迎え、心よりお喜び申し上げます。 私は、昭和63年度の春に入学し、在学中に昭和から平成への移り変わりを共に、岩手高校にて過しました。そして、3年間という期間を、かつ、16歳から18歳という人生における「青春」という時を、歴史のある岩手高等学校において、1ページを残すことが出来、大変感謝いたしております。 入学するまでは、岩手高等学校とは、男子校という事もあり、どんなに厳しく、男臭い高校なのかと、多少の不安と抵抗はありましたが、数多くの仲間、親身になって頂いた先生方、そして、充実された学習内容、生活環境に十分満足させて頂きました。 反面、驚きもありました。何と、女性の方が1人もいらしやらない事でした。事務の方も男性、保健室の先生も男性、もちろん教師の方々も、すべて男性というのには、さすがに驚きました。今では、どのようになってるのでしょうか? 私が入学した年は、新校舎の増築、そして県内でもトップクラスの広さと、設備を備えた立派な体育館が私達を迎えてくれました。私は、運が良かったのか、3年間を新築の校舎にて過ごさせて頂きました。校庭の様子がよくうかがえ、窓際の1番前の席であったにもかかわらず、良く外を眺めていたものです。 学生時代における1番の思いでは、一生懸命勉学に取り組んだことですと、書き記したいところですが、そういうわけにはいかず、クラブ活動に取り組んだ事でした。 私はハンドボール部に所属し、3年間を過ごしました。結果の方は、いま1つでしたが、ハンドボールというスポーツを通じて、練習に取り組む姿勢、日頃の練習の大切さ、石桜精神に基づく岩をも砕き立ち上がる精神力を身につける事が、出来たのではないかと思っております。 3年間の締め括りでもある最後の高校総体では、卒業し、月日が経った今でも、しっかりと覚えております。 3年生が、私一人しかおらず、他すべてが下級生というチームで、市民 体の優勝チームに対し、残り20秒で、同点に追い付かれラスト5秒で逆転され、惜しくも負けてしまったのです。 勝負の世界とは厳しいもので、勝者と敗者が伴う訳でありますが、 なぜ、私達のチームが敗者なのかと、このときほど、審判の試合終了の笛が、信じられない試合は、ありませんでした。ただ、呆然とするだけで、本当に悔しい試合でした。 その後私は、岩手選抜に入りミニ国体へ参加させて頂きましたが、最後の高校総体での悔しい敗北が心に残り、社会人となった今でもハンド ボールを続けております。 四国で行われた香川国体へは、社会人として参加し、5位入賞が出来 ました。すべてが高校で学び、身に付いたことが役に立ち、結果を残すことが出来たのだと思っております。 岩手高等学校のハンドボール部は、先輩の方々もよく練習を見に来て頂き、ご指導を受けました。そして、整備された専用のコート、最高の体育館。私はハンドボールをするのに十分な環境に大変恵まれていたと思います。 加えて、監督の吉田文明先生、部長で、現在学校長の池口杜孝先生には、数多くのご指導を受け、お世話頂きまして心より感謝いたしております。 今後、80周年そして100周年と歩む母校に対し、伝統そして石桜精神 を継承し、新たなる飛躍と発展を 期待いたします。 最後に、岩手中、高等学校創立70周年記念誌発行に携わられた先輩 方に心より感謝申し上げます。 平成8年10月19日発行の「石桜70年誌」より引用 |