石川 啄木 「新婚の家」

石川 啄木 妻 節子 啄木新婚の家 正面
表札
当時は無かった
我が四畳半
啄木新婚の部屋
啄木の父母と妹の3人が住んだ八畳の部屋
右側が四畳半
啄木新婚の家 裏側 啄木が使用した
裏玄関

見取図
明治38年6月4日〜6月24日まで(このとき啄木20歳)
  新婚の啄木夫婦と父母それに妹の5人が3週間程暮らした家

同年6月25日に盛岡市加賀野磧町に転居

玄関を入ると、すぐ8畳の部屋があり、奥に8畳と4.5畳の2間があって、この奥の2間を石川一家が間借りしていた。
  4.5畳の部屋が啄木夫婦の新婚の部屋で、隣の8畳に父母と妹の3人が住んでいた。

この家には別に二家族が住居していた。

200石位の武家屋敷?  啄木は裏玄関を使用していたようだ。

妻節子の実家「堀合家」はこの家から50m離れたところにあった。

参考
    閑天地「我が四畳半」が明治38年6月21日(水)の岩手日報に第1回目が掲載された新聞コピー
    
     「我が四畳半」(一の上)
                    (一の上)〜(八) 迄「閑天地」に収められている
     
     
吉見 正信「イーハトーブ私記」 
       「啄木新婚の家」の第一夜
 (私記は(1)〜(10)は 別ページ「イーハトーブ私記」参照して下さい