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覚えていますか、岩手山山頂に        校旗樹立記念碑のあることを
 
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岩手中学校 校旗 昭和4年9月11日
記念碑建立し
終えての先輩諸氏
                       

 校旗樹立記念碑の建立

この記念碑建立は、草創期を飾る最大の事業であった。
昭和2年9月、岩手山頂に校旗を樹立したその感激を永久に記念する
事業として、その後同地に記念碑を建立する計画が練られていった。
すなわち、理事長はじめ職員生徒一同が、1週1銭の寄付貯金をして
時を待ったのである。

昭和4年になって、鈴木校長は島軒教諭に、樹立記念日の9月5日までに事業を完成させるよう手はずをととのえることを命じた。
命をうけた島軒教諭は、6月下旬ごろから、岩手山神社社司や石工の川村芳太郎と種々協議し、研究に研究を重ねた。

工事は川村が請負い、材料石は運搬のことを考えて、山頂近くから調達することになった。
川村ほか3名の石工が工事にとりかかったのは、
8月15日であった。

島軒教諭の克明な記録から拾ってゆくと、8月23日に、山頂の300メートルあまり下で、材料石の荒取りが完成している。それを8月27日までに、長さ11尺5寸、幅2尺、厚さ1尺6寸の大きさに仕上げた。「皇風永扇校運隆昌」 という碑文を鈴木卓苗校長が揮毫し、それを持って島軒教諭が8月20日に登山した。この間、天候不順と川村の長男死亡などのため、作業がやや遅れた。島軒教諭は8月30日に下山し、校長宅を訪問して相談の結果、建立作業日は9月11日と決まった。
9月11日は220日の厄日に当
ており、当日の登山は心配であったが、一大決心のもとに、あえて決行と決めたのだった。

9月10日午前8時、3、4年の登山隊が出発して、社務所に泊った。島軒教諭と4年生の高橋兵吉、それに作業人夫3名が、先発隊として午後1時山頂に向かったが、天候は次第に悪化し、3合目から大暴風雨となった。風のためときには棒立ちとなり、あるいは呼吸を止められ、苦労に苦労を重ねてやっと奥宮に到着したのは午後5時であった。風雨に打たれたのは下界も同じで、社務所の立木はごうごうと鳴り、雨は滝のように落ちきた。

翌9月11日の午前3時、100名の登山隊が、風雨をおかして先発隊のあとを追った。ところが午前9時220日の厄日にもかかわらず、頂上の天候が奇跡のように回復し、まったくの快晴と変った。喜び勇んだ一行は、さっそく碑石運搬の作業にとりかかる。100余名の人員が引綱を手に持ち、第一声の音頭をとると、巨大な碑石があたかも生きもののように動き出した。そのまま気合に乗じて、約3、40分で300メートルあまりの距離を引上げ、何の故障もなく目的の場所に到達した。一同は、思わず万歳を叫んだ。

石工と人夫が、二股を建て、滑車をつけた。そして、碑石がゆっくりと直立し始めた。生徒は、この危険な作業には加わらず、そのほかの作業を手伝った。記念碑の建立が終ったのは、その日のちょうど正午であった。

校旗は学校の象徴である。その校旗を、県下最高峰の霊山に樹立したのは、本校の前途がこの岩手山のように、ますます堂々たるものになるにとの願いからであった。その快挙を永久に記するための石碑を、全員の寄付貯金によって、みずからの手で同じ山頂に建立したことは、本校関係者の共通の願いが、いよいよ確固不動になった事実を示していた。
                                                           (石桜50年史より引用)


  伝統の形成着々と

学校の象徴である校旗や校歌が制定されたのは、昭和2年から3年にかけてである

校旗は三田義正理事長より昭和2年9月2日に寄贈された。その図案の由来は次のようなものである。

   「岩」ノ古字「巌」ノ上ニ「中」ヲ重ネ桜花ニテ包シモノ、
  以テ「岩中」ヲ表スト共二、当市ノ名勝「石割桜」ヲ暗示シ、
  精神一到何事不
成ノ信念ヲ表象セルモノナリ。
                            「校旗由来書」より

また校旗下隅の「岩手中学校」の記名は、岩手奨学会理事で海軍大将の栃内曽次郎の筆になるものであった。

校旗制定式から3日後の9月5日に岩手山頂で校旗樹立式が行なわれた。その日、鈴木校長以下職員生徒200余名は校旗の略旗を押し立てて岩手山登山を敢行し、山頂に校旗を樹立、万歳三唱して校運の隆昌を祈った。また校長は奥宮前で「校旗樹立之辞」と題する祈願文を奉読した。結びの一節を掲げよう。

    冀はくは
   岩手山々霊の冥祐を仰ぎ我校の文運は日に月に隆昌して其業績は以て永く国家民人に貢献する所あらむ、
   又庶幾くは我校の堅実雄偉なること岩手山の如くあらむことを、
   つゝしみ
   かしこみ
   我等が祈願をのぶ、

この日、あいにくの風雨に襲われながらも一行の志気は高く、「記念標」を建てて下山した。
標文は「皇風永扇校運隆昌」というもので、これが2年後に同地に建立された校旗樹立記念碑の碑石に刻まれることになるのである。

                                                             (石桜70年誌より引用)


現在(2009.6.28)の校旗樹立記念碑の様子
 校旗樹立記念碑建立は、岩手中学の草創期の最大の事業そして是を成し遂げた三田義正理事長等関係者と先輩諸氏の
   偉業を再確認
すべく、2009.6.28に現地を訪れました。
   あらためて当時の先輩諸氏の素晴らしい偉業に感激、感動しました。
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かって先輩諸氏も眺めたであろう4合目からの
倉掛山
左は岩手山最高地点の
薬師岳

真中は妙高岳
妙高岳
右側山裾奥に
記念碑がある
岩手山最高地点の
薬師岳
お鉢上から眺める記念碑が建っている場所
岩手中学校 校旗樹立記念碑(2009.6.28) 記念碑左隣にある
岩手山神社奥宮
8合目山小屋
2009.6.28 12時56分
岩手山山頂にて 編者
2009.6.28 13時25分
記念碑にて  編者

 ちょっと ひとこと
   (前文略) 
  山頂、お鉢を巡って、石碑の前に立つと一種敬虔な気持ちになる。
  この石碑に宿った山霊、精気が我々に伝わってくるのだ。

 「皇風永扇校運隆昌」霊峰岩手山の山霊の祐けを仰ぎ、我が校の校運が長く大きく発展、石桜を巣立った多くの人材がこの国の発展に
 寄与せんことをという願いを込めた碑文である。そこには創立当時の石桜の先輩たちの大きな誇りと強烈なまでの自負と、そして目的意識がみてとられる。
   また見落としてならない事は、そこに謙虚さがあるということ。
 人知を超えた存在を岩手山にシンポライズし、「人事を尽くして大命を待つ」姿勢がある。 (後文略
)
                                                  <石桜同窓会報22号 校風永扇より引用>
 編者の記憶から50数年間忘れ去られていた記念碑、今回機会があり再び遭遇できたこと、感激で一杯です。
  諦めていた岩手山登山、そして再び記念碑の前に立ち、前文の意味がほんの少しではあるが理解出来たような気がしました。
 
 それにしても、70歳過ぎてからの頂上まで5時間30分、下山まで4時間、昼食等合計10時間30分はかなりハードでした。