甲子園出発から宿舎まで  

昭和30年8月5日  午後5時
               氏神の桜山神社で勝運を祈る

               午後6時   盛岡駅前での壮行会
                岩手高校は甲子園初出場なので在学生、先輩、父兄らの見送りは
                大変な人出となった。
                          紫の奥羽大会優勝旗をしっかりと抱えた田中主将は人々の激励に
                        「甲子園では力いっぱい戦ってきます」と誓っていた。
              午後7時10分 盛岡駅発 準急行列車で甲子園ら向かって出発
      8月6日   午前6時35分 上野駅着
       2班に分かれ
        戸嶋部長引率の田中主将以下 6選手は  9時   東京駅発 特急   つばめ  午後5時   大阪駅着
        川村監督引率の村川投手以下 10選手は  9時3分東京駅発 臨時特急 さくら    午後5時8分大阪駅着

      宿舎は国電西宮駅前「三福旅館」 西宮市池田町22
 

 

           

          









































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岩高ナイン宿舎「三福旅館」の当時(昭和30年)と現在(平成20年6月)

  
昭和30年の三福旅館 平成20年6月の跡地付近 昭和40年の地図には三福旅館名でなく
 金福閣になっている。
  旅館名を変えたかは不明です

平成20年6月の跡地調査と写真は新9回生の大阪在住 榎本喜七氏 の協力をいただきました。


                                    岩手日報 朝日新聞両社の許可なく転載を禁止させていただきます

SEKIO のマークは昭和30年8月 甲子園出場時のユニホーム袖ワッペン
  村川選手がそのままアルバムに記念として保管してあるものです。




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