岩手県盛岡市南大通り3丁目
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   盛岡の「御蔵」

  明治は橋を仙北町方面から渡って行くと北上川下流のコンクリート護岸越しに鮮やかな白壁の土蔵が目に入る。
  明治橋際の御蔵(おくら)と呼ばれる盛岡市保存建造物、同有形文化財。
  
  この地は新山河岸(しんざんかし)と言われ御番所や船宿、御蔵などが立ち並び、舟運の要衝として藩制時代に栄えた。

  御蔵は江戸時代後期の建築とされ、往時を語り継ぐ貴重な建物です。盛岡市内ととしても藩政時代の面影を伝える数少ない建物。
  民間所有のころ解体計画が浮上。地元住民からの要望もあり1983年に盛岡市が取得した。
  もし、市の英断がなければ、今日、目にすることはなかったでしょう。

  1783年(天明3年)と1833年(天保4年)の大飢饉を踏まえ、盛岡藩は城下に備荒倉囲穀のお布令を出した。
  備穀奨励で何ヶ所かにあった備蓄庫が1856年(安政3年)、この御蔵に集約されたと言われている。
  お蔵は土蔵、平屋建て、切妻平入り、瓦葦の建物、外壁は土蔵の大壁式で白漆喰塗り、窓は外開きの土壁式防火戸、
  鉄格子金網付きの開口部、腰は花崗岩積みでかなり堅固基礎に造られている。
  米蔵なので、屋根に空気断熱層を設けて床を高くし、防湿換気が配慮されている。
  桁行38.1m、梁間9.5m、建築面積362u