徐耀暄さんよりの手紙

手紙本文


  小学校時代の校舎
 台湾の竹南尋常小学校です。
 先生、生徒は全部日本人です。(日本人の小学校)
 台湾人は口頭試問に合格しなければ入学できません。
 私の後に見えますのは講堂で昔そのまま残っています。
 戦後、今は竹南国民中学と改名しました。

  中学時代校舎です。
 元校舎は今の岩手女子高校(大沢川原)
 私の隣に立ってますのは私の娘です。(台湾の商科大学卒業後、貿易会社に勤務)

  専門学校時代の校舎です。
 早稲田大学付属早稲田高校(木材工業科)
 私の後ろに見えますのは講堂です。
 昔のそのままです。

  大学時代の校門校舎です。
 終戦前は台湾高等学校、今は台湾国立師範大学
 校門と前列校舎は昔そのまま残されています。
 当時台湾は日本の植民地として50年間統治しました。

  台湾国立師範大学(昔の台湾高等学校)
  (息子と一緒に)

  大成高級中学で教師時代の写真(数学の授業中)
 当時全校生徒約3.000名、校長は東京帝国大学卒業の頼順生校長です。

 終戦後昭和21年5月に校長と兄(岩手医専卒)と一緒に帰国しました。

  中学教師を定年退職後は野菜・瓜類の栽培に熱中。
 その成果です。

 南瓜(カボチャ)、糸瓜(ヘチマ)、苦瓜等。
 今年は豊作です。

  岩中の同級生(千葉昌二)仙台で70年振りの再会で大喜び(平成21年9月)
  千葉昌二君の自宅で

 右側の方は千葉君の奥様です。
 それも赤澤征夫様のお陰で、お手紙で健在である事が分って、わざわざ台湾から
 訪問しました。
 よかったなあーと思いました。

  中華民国慶祝一百年国慶大会(2011年)
 馬英九総統が大会で祝辞中。

  中華民国の総統府
 終戦前50年間日本政府が植民地として統治した時のの台湾総督府で
 少し改築しましたが、殆んど昔のまま豪華な建物です。

  分列式進行中

  苗栗縣の通宵神社
 昔日本が台湾を統治した時代の神社です。
 神殿、鳥居等は記念として昔のまま残されています。
 然し今は忠烈祠と改名しました。
 台湾で現在残されている神社はごく僅かです。

  苗栗縣の通宵神社(忠烈祠)
           <拡大写真>
                           
                               1931(昭和6年)日本政府は「一町一社」と称して台湾全土で神社建設を促進した。
                               その結果、日本時代に建てられた大小の神社は200前後に達したといいます。               
                               戦後、その多くは破壊あるいは改築された。
                                                                           編者付記