岩手中・高校の旧校舎





      今回の「温故知新」は岩手中学校に滑空部(グライダー)があったことを知っていますか?です。

    岩手中学校に「滑空部」があったことは、ほんの一握りの同窓生しか知らなく、ほとんどの方はその存在を知らないと思います。
     その存在は、いわば『幻の「滑空部」』のまま忘れられようとしています。
                                  
     石桜同窓会報 第24号 3面(平成12年3月20日発行)に 
    石桜五〇年史、七〇年史に載らなかった話  の記事が掲載されています。
     副題は「恩師下村 幸男先生(旧13回生 昭和18年卒)からの手紙」
      で石桜同窓会担当の川村 康二先生(岩手高校教諭 新24回生)が記しています。

     その記事の一部を紹介すると
       ー前略ー 創立70年記念誌を手にしながら、岩手中学校の懐かしい校舎と生活を思い出しました。
           素晴らしい記念誌だとも思い出しましたが、不満もありました。
           各運動部の活躍の歴史のような物もあげられていた様ですが、私の在学当時は戦争中であったためなのか、
           そんな中での滑空部の存在も活躍した事についての何かの理由でん割愛したのかも知れませんが、
              残念でもあります。
       −中略ー
              私の頭に強烈な記憶として残っていた事といえばやはりグライダーの思い出を拙い文にしたのが  
 「グライダーの青春譜」です。
 
 盛岡タイムス社の方が別な用で拙宅にお見えになった時にご覧になり「戦時中の記録なのだから新聞に
 掲載させてください。」と云われました。

 私の文はとても人に読んで頂ける様な文章ではありませんので、お断りしたのですが、
 結局、週2回50回連載させて頂きました。(1992.11月〜1993.5月)

 この記録を印刷して小冊子にしたらと勧めてくれる方もいましたが、業者に頼む程の物でもない
拙い文なので
 自分で製本し纏めて見ました。
 部数も少ないので、昔の仲間とお世話頂いた数人だけに贈りました。
 


(その貴重な1冊が石桜同窓会事務局に保管しています。ご覧になりたい方は学校の方に問い合わせ下さい。)

 


    ■製本し贈った後から、大変な事を忘れていた事に気づきました。
      私達が滑空訓練をしたのは放課後、校庭に集まり、揃って観武ケ原を目指して駆け足で行くのが常でした。
      大日本飛行協会の格納庫から「鳩型」という初級機を出して練習していました。

    「文部省型滑空機」を昭和16年頃だったと思います。
      三田 義一理事長より突然学校に贈られて来ました。私達部員は驚きと共に喜びました。
     
    贈られた当時の滑空機1機と諸道具合わせての金額は、
       機体   600円
       ゴム索 160円 の大金であった事を知っている人は少ないと思う。
     (昭和15年の米60k 16円30銭から比較すると、計算方法と米に関する当時と現在の価格環境から換算すると、
       100万円を超えていた?)
       昭和15年4月26日 文部省が形式、価格を発表
「鳩型」初級機
「鳩型」初級機 文部省型滑空機
<拡大写真>
三田理事長より寄贈された
文部省型滑空機
    鶯宿滑空場で滑空訓練の査閲があった。
      査閲官は弘前師団の間山滑空中尉で、査閲の結果は最優秀校として、お誉めの戴いて帰校した。

下村 幸男(旧13回生 昭和18年卒)の経歴
岩手中学時代の下村 幸男氏
岩中時代
教員時代の下村 幸男氏
教員時代
  
   下村 幸男氏は大正13年 大阪府に生まれ
   盛岡市立城南尋常小学校から岩手中学校(現岩手高校)から
   岩手師範学校(現岩手大学教育学部)卒業
   二戸郡小鳥谷村立小鳥谷国民学校訓導を振り出しに盛岡市立山王小学校
   城南小学校、葛巻 五日市小学校、城北小学校、仙北小学校、箱石小学校
   や岩手郡の小学校に勤務し昭和55年4月、滝沢村立鵜飼小学校長を最後に退職
<拡大写真> 下村 幸男先生から川村 康二先生への手紙

写真提供、引用文につきまして心より快諾して頂いた多くの関係者に感謝申しあけます。
協力して頂いた団体協力者 鎌田 英雄、加藤 昭雄、奥山 淳志、川口 善弥、細川 アヤ各氏、雫石町歴史民俗資料館、
雫石教育委員会、雫石町体育協会
雫石町商工会

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